訪問DHのdemifond-careつれづれ生活

訪問歯科衛生士の私、実母の中距離介護始めました。

認知症の兆し:日常から始まる異変ときっかけ

はじめにと書いた内容は、今から5年前

 

いつか見直す時にこんなことあったな、と母との出来事を思い出す時のため

それからこれから認知症に向きあう人に、こんな方法もあるなと、少しでも指標になれば、、、そんな気持ちも兼ねてぼちぼち綴っていきます。

 

認知症は人それぞれ

その人ごとの進行具合や、性格によっても対処も変わってくる

ただ色んなパターンの一つとして、そんな気持ちです

 

認知症のスタートライン

 

それはまだまだ始まりでもなくただの兆しでしかないものでした

父にそれ以降母の具合を尋ねても、そんなん気にしすぎやと一蹴され、なかなか病院にも連れて行けず結局月イチの帰省で様子見る日が始まりました。

たまに帰省すると、いつもどうり働き者の母がおり、小学生の孫達の世話を焼きながら元気そうな様子、、、、

気にしすぎだった?モヤモヤしながら、冷蔵庫を開けると野菜室にトマトやブロッコリーがいくつも入っている。

「お母さん、ちょっとトマト買いすぎちゃう?」

「スーパーで安かったから、毎日サラダも作るし」

その頃の母はスーパーでパートをしており、毎日スーパーで帰りに買い物してくるのが日課でした。

毎日サラダを作るので、ついつい帰りに買ってくる様子

 

冷蔵庫チェック→認知症の気づき

日用品や冷蔵庫の在庫がいっぱい

賞味期限切れの食品がいっぱい入っていたりしたら、要注意!

 

予想通り、とはいえこの頃はまだ疑いといったところでした

 

子供達に「ジュース飲む?」母が聞きます。

「いらなーい。」

数分後、、、「喉渇いたやろ、ジュースあるで」母がまた子供達に勧めています。

「来る途中でジュース飲んできたし、いらんよ。さっきいらんって子供

ゆってたで」子供もたびたび繰り返されるジュース攻撃にイラッとしている様子見かねて仲介します。

「ごめん、ごめん、車長かったから喉渇いたかと思って。」母の取り繕いが始まっていました。

度重なると、父がさっきもゆったやろ!と怒鳴る、そんなことが続いていたと思います。

些細なこと、でもあれ?さっきゆったよね??、そんなことが帰省のたびにまれに見られはじめていたところでした。

 

認知症?MCI(認知症予備)?

 

とりあえず、どう母を説得して病院につれていくか、、、

 

母もだけど、昭和の頑固というかヘンコ親父をどう説得するかな、

 

車で1時間半、今は一ヶ月に一度の1、2日の帰省でこれからどうするべきか

 

 

 

 

物忘れから始まる物語:認知症への道のり

はじめに 

訪問歯科に勤務し始めた頃、実母の様子が認知症ではないかと疑問を持ち始めました。

それ以前から些細な物忘れがちらほら、、、、とはいえ、母はまだ元気でパートではあるが仕事もしており、友達とご飯、ヨガにジム通いとまだ60代半ばだったこともあり、ただの物忘れなのかな、と思ったり。

そうこうしているうちに父からの電話で、

「お母さん怖いで、この前お母さんな、友達のKさんとご飯食べに行く約束電話でしてたんやけど、電話切ってちょっと経ってからワシがKさんとどこ行くんや?今の電話なんやったんや?って聞いたら、全然覚えてないねん、電話なんかしてない!って怒るんやで、ほんま全然覚えてへんねん。」という話がきっかけでした。

 

物忘れ→きっかけがあれば思い出す

認知症→記憶の欠落、その部分だけがすっぱり記憶から抜け落ちる

まさに、認知症特有の物忘れ兆候がみられはじめた頃でした。

実家から高速で1時間半ほどの距離に住んでいるので一ヵ月に一度ぐらいの帰省で、物忘れなのか認知症なのかモヤモヤしていたなか、今までの些細な物忘れが悲しいかなストンと腑に落ちた瞬間でした。

 

やっぱり、、、とはいえ、父にそれはもしかして認知症かも?というのは難しく、父にそれは物忘れにしたらちょっと心配かも、他には最近そんなことはないの?と聞いても、全然元気やし大丈夫!と、あまり取り入ってもらえないままその話は終わりました。

 

この時がDemi-fond care 中距離介護スタートラインにたった瞬間でした。